戦後、わが国の経済復興を担ったのは紡績、石炭などであったが、昭和30年代に入ると紡績は「操短の歴史」を繰り返すようになり、すでに「斜陽産業」と呼ばれ始めていた。これに対して合繊が急成長していくが、新しい素材だけに合繊メーカーが自らが製品開発し、宣伝・キャンペーンを強力に推し進めるなど需要振興に力を入れてきた。これが日本のファッションをリードし、アパレル産業の形成にも強い影響力を及ぼすことになる。合繊メーカーのキャンペーンで、最初に流行を呼び起こしたのは「黒ブーム」。1959(昭和34)年、オーストラリアのスキーヤー、トニー・ザイラーの映画「黒い稲妻」が人気を呼び、これに目をつけた東レが「ザイラー・ブラック」を流行らせた。